第4位:日本:国産旅客機YS-11撤退
日本の空を国産旅客機が勇ましく飛んでいた――そんな夢の象徴が「YS-11」でした。戦後の航空業界で、日本が再び世界の空に挑戦するため、国をあげて企画されたこのプロジェクト。かつて零戦の設計者たちも開発に参加し、その技術力と情熱が一機一機に注ぎ込まれていました。外貨獲得や、独自の航空産業再興という国策色も濃く、まさしく“国の威信”をかけた挑戦だったのです。
しかし、その輝きは長く続きませんでした。YS-11は運航開始後、衝突防止装置をめぐる対応の遅れや、世界の航空業界の激しい競争に直面します。機体トラブルや部品供給体制の脆弱さ、コスト高など、さまざまな障壁が立ちはだかりました。一時は12カ国で採用され、輸出の実績も誇りましたが、経済的な赤字は深刻化。改善の見込みが立たないまま、ついに量産は中止されることとなります。
その後、YS-11は日本の旅客機市場から姿を消しましたが、物語はそこで終わりません。一部の機体は自衛隊の輸送機として、また海上保安庁などでも活躍を続けており、静かに“元名機”として今日まで存在感を放っています。今も博物館などで、その独特なフォルムや塗装を目にすると、一時代の夢とロマン、そしてはかない挑戦の残り香を感じずにはいられません。「国産旅客機の幻影」として、YS-11は今も多くの人を引きつけ続けているのです。
